れんげちゃんの歴史
レンゲ農法の歴史
「レンゲ農法」は、昭和30年代中ごろまでは日本のいたるところで行われていました。しかし、第二次世界大戦後の食料不足で大量のお米が必要となり、政府は化学肥料を使用した栽培を導入し、生産量の増大を目指しました。このころから化学肥料全盛の時代となり、手間のかかる「レンゲ農法」はほとんど見かけることがなくなりました。
結果、収穫量は増大したのですが、化学肥料の使用によって稲が病気になり、それに対する危険な農薬を使うようになっていきました。その農薬によって天敵である虫を撲滅してしまったり、田んぼの中の生物を死滅させてしまったりと、自然の法則を無視して環境を破壊していったのです。
昭和も終わる頃、「これからの子どもたちには安全な米を食べさせてあげたい」という想いから、再び「レンゲ農法」を見かけるようになってきました。「レンゲ農法」が産み出すお米は、安心して食べられる伝統的なお米なのです。
阿久比米れんげちゃんの歩み
愛知県阿久比町(あぐいちょう)は知多半島のほぼ中央に位置しており、名古屋市の近郊ながらのどかな田園風景が広がる自然豊かな地域です。温暖な気候と肥沃な水田に恵まれる阿久比町は、古くから米の町として知られ、おいしいお米『阿久比米』として高く評価されています。
その恵まれた風土を利用し、レンゲ農法で特別栽培米の技術確立に向けた取り組みが始まったのは昭和63年。消費者に求められる「安心・安全なおいしいお米」を目指すべく、町をあげて5戸の農家から取り組みがスタートしました。立ち上げ当初はれんげの肥料分が多すぎて稲が全部倒れてしまったり、水を早く入れすぎてレンゲが発酵して根が焼けてしまったりとなかなか思うようにいきませんでした。しかし、他の地域へ視察に出向いたり、メンバーで研究を積み重ねたりすることで次第に技術を確立させていくことができました。
平成4年には阿久比町の消費者団体「あぐいくらしの会」との交流が始まり、消費者との直接の情報交換がスタートしました。平成8年には農家が20戸まで増加し、「阿久比米れんげちゃん研究会」が設立され、さらに平成11年には「れんげちゃん」が商標登録されました。
れんげちゃん研究会は平成13年に第5回環境保全型農業推進コンクールで農林水産大臣賞を受賞、平成18年には第35回日本農業賞集団組織の部で優秀賞を受賞いたしました。おかげさまで現在では多くの方から信頼をいただくことができ、今後一層「安心・安全なおいしいお米」を目指して研究・生産に取り組んでいきたいと考えています。